【この資料は2008年度のものです。 → 2007年

短大・夢実現への架け橋

鹿児島県立短期大学 商経学科 経営情報専攻 2年   神田 弓      

〔解 説〕  平成20年8月4日に第12回鹿児島県短期大学の教育シンポジウムが開催されました。以下の文章は,県立短期大学商経学科の神田弓さんによるプレゼンテー ションの内容です。


鹿児島県立短期大学学生部 

 本日は、私が通っている県立短大での毎日の充実した生活の日々と、県立短大に入るきっかけなどをご紹介させて頂きます。
 私が鹿児島県立短期大学(県短)に入学を決定するまでに、それほど長くの時間はかかりませんでした。私が卒業した鹿児島玉龍高等学校では、専門学校への進学を含めて生徒の大部分が進学します。進学するにあたって、鹿児島で生まれ鹿児島で育った者として、鹿児島の文化と歴史とともに成長してきた鹿児島の学校で勉学に励み、また地域貢献をしたい、と考えておりましたので、地元鹿児島での進学を決めました。
 また高校在学時に修学旅行がイギリスの予定だったのですが、国際テロが心配されたため、国内研修に急遽変更になってしまいました。私自身にとって初めての海外旅行が中止という結果になってしまったので、海外への憧れが募る一方でした。
 私はまだ見ぬ海外に興味があり、もっと海外に視野を向けた中で、客観的に外から見た鹿児島について考え、発見し、学びたい、と思ってはいたものの、進学先は漠然としていました。明確な志望校もなく、坦坦と受験勉強をこなしていく中で、担任の先生から、「県短は海外についての研究をしていらっしゃる教授の方々が沢山いるし、海外研修を設けているゼミもあり、非常にグローバルで、かつ、2年という短期間で集中して勉学に励める」というアドバイスを頂いた瞬間、私には県短しかないと感じました。
 短大に強い魅力を感じた理由として、2年という4年制大学に比べて半分の期間しかない、という事があります。短大というと4年間でする勉強を2年でするのだから「忙しい」というイメージがありますが、この2年という短い期間に集中して充実した時をすごし、鹿児島県という素晴らしい県を沢山の人に知ってもらいたい、鹿児島に貢献したい、という思いがいっそう強くなりました。

 無事、県短に入学が決定した春には、私の夢は膨らむばかりで、高校とは違う環境と短大ならではの講義形式を楽しみながら、一生懸命勉学に励みました。
 私は、商経学科経営情報専攻に在籍しています。経営理論と経営の現状、企業や社会の情報の分析、分析した情報を活用する技術、情報処理やコンピューター活用技能を身につける科目を学んでいます。自分が今まで触れたことの無い分野で、全く知らない分野だからこそ意欲も湧き、興味をそそられる科目ばかりです。経営や企業、そして社会、世界を学ぶことは、私の夢に近づくための一歩でもあるので、毎日が新鮮な講義ばかりです。

 そして、私が短大に入って初めての夏休みが近づいていました。この夏休みは私にとって夢実現への第一歩となった夏でした。
 夏休みにはいってすぐ、錦江湾横断遠泳大会があります。私は短大にきた「大会ボランティア募集」の知らせをみてすぐに応募しました。錦江湾横断遠泳大会は鹿児島で毎年行われ、地元鹿児島ばかりでなく、日本各地、世界各国から参加チームが集います。大会ボランティアの経験は全く無かったのですが、救難救護のレッスンを受けたり、海岸のゴミ拾い、大会参加チームとの打ち合わせ、コース確認をしたりするなど、積極的に参加しました。
 大会自体は、当日「雷注意報」が発令されたために中止となってしまいましたが、ボランティアという無償の労働で沢山の人を支える素晴らしさを実感することができました。それに加えて、地元鹿児島に貢献したい、鹿児島の良さを広くアピールしたい、と考えていた私にとって、大会ボランティア参加という経験は夢への大きな第一歩となり、私自身にとっても鹿児島について知る良い経験にもなりました。

 夏休みも終盤に差し掛かったころには、ずっと憧れていた海外へ行く機会がありました。県短には異文化体験といって中国・インドネシア・米国(ハワイ)の3カ国へ短期の海外研修をする授業科目があります。私は5歳から英会話をしていたことと中学から習い始めた英語の語学力を試してみたくて、英語圏の国に魅力を感じていました。そのことが決め手となって、私自身にとって初めての海外研修に参加しました。
 ハワイではカピオラニ・コミュニティーカレッジという大学で短期研修を体験しましたが、ここではハワイの文化・歴史を学びました。ハワイと日本では一見なにも関係がないように思っていましたが、実はハワイのプランテーションの基礎を築いたのは意外にも日本人であり、なおかつその日本人には鹿児島出身者も 含まれていて、鹿児島とハワイは古くから強く繋がっていたということを学びました。
 またホノルルには鹿児島の代名詞桜島を連想させるようなダイアモンドヘッドもあり、まるで「ハワイの鹿児島」のようでした。もちろん私たち日本人にとって忘れてはならないパールハーバーにも行ってきました。パールハーバーは私たちの世代が知らない戦争という傷跡を残し、後世に伝えていこう、また戦争という悲劇を二度と繰り返さないようにするという警告、誓いのように感じました。
 ハワイへの異文化体験を通じて、沢山の生の英語に触れ、文化を学び、自分の知らない世界を垣間見たことはとても良い体験でした。またそれ以上に、自分の予想より街に日本語が溢れていて、意外な所で日本と繋がっていることを知ったので、今後の私の成長の糧となっていくと思います。
 ボランティアと異文化体験。この貴重な体験を二つも夏休みに経験したことによって、私の夢と人生の決定に大きく影響し、四方八方に幅広く広げるきっかけとなりました。

 夏休みが明けるとすぐに、私の在籍する商経学科では、ゼミ活動が始まりました。ゼミは、少人数制で、なおかつ先生が研究する分野に参加することができ、先生や学生同士で意見を交換し合って思考能力を高めることが出来ます。先生方との交流も深く、少人数制なので自分の主張がしやすく、1人1人の能力を幅広い方向から伸ばすことができます。また、ゼミで工場見学に行ったり、合宿をしたりと幅広い活動を行い、先輩との交流もあり、活発で楽しくとても魅力的です。
 私がたくさんあるゼミから選択を行う際、決め手となったのは異文化体験でした。海外に憧れていて、かつ初めての海外研修に参加した私は、もっと色々な国の経済政策や現状、文化や食生活を知ってみたいという希望が膨らみました。本やインターネットで勉強はできますが、知っているということから体験を通じて知識に変え、沢山の世界を見てみたい、と強く感じたので、それが決め手となって国際経済を研究していらっしゃる先生のゼミに決定しました。
 まず初めにゼミの大きな活動として、私は毎年1月に指宿で行われる「いぶすき菜の花マラソン」に参加しました。鹿児島で生活する中でいぶすき菜の花マラソンはとても有名でしたが、私自身は、今回が初めての挑戦でした。フルマラソンという自分との戦いを行うなかで、地元の方々が、ドリンク、みかん、サツマイモ、氷砂糖などを提供して、精一杯応援してくださり、そのおかげで、無事制限時間内にゴールすることが出来ました。いぶすき菜の花マラソンを通じて、地元鹿児島の特産品や雄大な自然、地域の人々の温かさを感じました。
 それから3月に実施される欧州6カ国研修にむけての勉強を始めました。ヨーロッパは宗教が強い地域です。「郷に入っては郷に従え」という言葉がありますが、知らないことは最悪の場合、自分の命を脅かす結果へと繋がってしまう可能性があります。また、私たちは約40日という期間の計画を、業者に依頼すると 金額が跳ね上がってしまうので、航空券、観光計画、ホテルから、工場見学や観光名所の通訳者などまで、すべて自分たちでアポイントメントを取得し、計画しました。
 英語の長文を訳したり、英語で国際電話をかけたりするなどの体験を通じて、計画が出来上がったときには、まだ欧州研修に出発する前なのに、涙がでるほど感動し、充実した時間が過ごせました。
 そして楽しみにしていたヨーロッパ6カ国研修のときが来ました。イギリス・チェコ・フランス・ポーランド・トルコ・ロシアと、初めて訪れるヨーロッパ諸国の、教科書でしか見たことの無い歴史的建造物、有名な絵画、沢山の言語。私にとって右も左も分からない土地で、自分たちの立てた観光プラン、自分たちで予約したホテル、全て自己責任の生活を通じて、日本では気付かなかったことや、逆に、当たり前のように感じていたものの有り難さを実感することが出来ました。
 このヨーロッパ研修や、ハワイでの異文化体験、錦江湾横断遠泳大会ボランティア、いぶすき菜の花マラソンに参加できたのも、県短に入学したということが全ての縁だと思います。

 そして今、私は県短1部自治会副会長を務めています。県短の自治会は、新入生歓迎オリエンテーション、文化祭・体育祭など自治会が中心となって学校と生徒との連立を図り、行事を盛り上げています。また、県短という素晴らしい学校を地域の方々など、幅広い方々に知ってもらうことも私たち自治会の役割の一つだと考えています。
 県短に入学し、私の憧れや夢は大きく広がる一方です。様々な体験をさせてくださった先生方、多方面からサポートしてくれた友人、陰で支えてくれた両親、すべての出来事に感謝し、縁を大切にしていきたいです。そして、私の夢はまだ始まったばかりです。残り半年余りという貴重な時間を有意義に過ごし、多方面へと広がり続ける希望を少しでも多く実現できるようにしていきたいです。

 ご静聴ありがとうございました。